= 出会い編 =


親が言うには、子供の頃から車好きだった様だ。
幼稚園児の頃には対向車の名前をスラスラと言い当てる様な車ヲタクぶりを発揮したらしい。
でもこれといって思い入れのある車って無かった。強いて言えばウルトラセブンのポインター号。 あるときテレビで見た『バニシング・イン・60』とかいう映画。 黄色い76’マスタング・マッハ1がボロボロになっても走り回るのを見てマスタングってすげーかっこいいなって思った。 そんなくらいなガキの時代を過ごし、どっちかつーと車より飛行機が好き〜になった中学生はアメリカ海軍機コレクターに。 アメ車にアメ飛行機なんて、どーかんがえてもアメリカかぶれだったのは育った地が横浜だったからだろうか。 厚木基地も近かったし、入間基地まで航空ショーとか見に行ったりして。 『大人になったら黄色いマスタング買うんだ!』と野心に燃えつつ高校の通学路で偶然発見した1台の新車。 それが丁度デビューしたばかりの赤いJR130だった(グレード不明)。それはあまりにも衝撃的な出会いだったのである。 なぜかって、いや、ホントに衝撃的だったんである。当時自転車通学だった私が、たまたま自転車を修理していた為に 乗っていたバスの中から、偶然に道ばたに止まっている真っ赤なPIAZZAを発見した。上品な内装、流麗なスタイリング。 そして後席をすべて倒し、ラッゲジには満載の・・・『キャベツ』。運転席にはどう考えても近所の農家のおっちゃん。 そしておもむろにそのおっちゃんがドアを開けた瞬間、ドアがもげました。正確に言うと180度開いちゃった。 後方を確認せずにおっちゃんがドアをあけた為に、走ってきた車に思いっきりドアもっていかれてしまった。南無。 バスが信号待ちしてるあいだのほんの数十秒間の出来事・・・それが私とPIAZZAの出会いだ。 ジゥジアーロがどうしたとか、アッソがどうしたとか一切関係なく、そのとき私の脳裏にこんな使命感が刻まれたのだった。

『PIAZZA。いい。ぜって〜買う。』


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