= 紆余曲折編 =


それから数年。普通免許を取得するも駐車場事情やら維持費やらまだまだ自分の車なんか買えない時期が続いた。チャリンコ命だった。 が、ついでにと中型2輪も取り、バイクバカな父親がハーレーもどきにイジリ倒したHONDAレブル(250cc)を『おまえの為だ』 (注釈:この場合、しっかりオヤジ自身の趣味の為の方が強い)などと抜かしつつ 購入してきたので、心の中で『アホぬかせ』と唱え、交機の白バイをおそれながら転がす日々だった。 確かそのバイクで晴海まで見に行った東京モーターショウに、参考出展だかでPIAZZA hblが出ていたのだ。 そりゃもうしっかり運転席に鎮座させていただいて、『くぅ〜、これだこれだ』とだらしなく満面の笑みで撮られた写真がどっかにあるはずだ。 その後、レブルはあまりに白バイに停められるので『ありゃダメだ。自分で買うから金返せ』と言うも『金返せ』の部分のみ聞き入れられず 気が付いたらGB400TTがやってきた。シングルシートの硬派なバイクはなかなか楽しく、珍しく『オヤジも趣味いいなぁ』 等と感心しているのもつかの間、私が就職するやいなや、いきなり岐阜方面に飛ばされることになった為、移送を考えていると、 『車検だから出しておくよ』とのこと。後日久しぶりに戻ってみると所定の場所にバイク無し。 テーブルの上にはユニオンジャックのキールダーが付いたキーが。『あ、それ、乗ってイイよ。』こりゃまたマイった。 『出す』って車検じゃなくて『売った』のね。オレの金は・・・。で、英車なんてなんだいまったく。 どーせミニあたりじゃ・・・げ。ミニだよ。それも屋根がユニオンジャックに塗られてる。これじゃトミカのミニカーだぜ、トホホ・・・。 おまけにクーパーもどきのメイフェアじゃねーか。ナンバーは3298だし。つーか、趣味悪いぜ>オヤジ。 さらにはパチもんのハイローキットなんか組んで有ったため、大人4人乗車で保土ヶ谷バイパス走行中に後輪のサスアームが折れる始末。 バーストスレスレでおそるおそる家にたどり着き、『壊れた〜、ボロい改造するな〜』と苦言するも逆に殴られる。 そのころは大学時代に友人の車の運転代行等々していた為、いろんな車にのる機会もありまぁまぁ運転も慣れていた。 ブルSSS(S48年車)、カローラGT、血を吸うサンバー(サークルの車。度重なる事故にもかかわらず廃車にならない) 中でも、高校からの友人が乗っていたディーゼルのジェミニ(PF60の頃)は、通学にも使用し人の車ながら不思議と自分の手になじむ感じが。 ここら辺から心の中のいすゞ熱、いやPIAZZA熱が再度発症し始めていた。(後日この友人はPA-NEROを購入という暴挙快挙に出る) そして、たまたま手に入れたPIAZZAの模型を、カタログを見ながらirmscherに改造しつつ欲求不満の解消したりなんかしてたのである。


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