序章(および異常な人格形成に役だった音楽たち)  

今を遡ることン十年前、小学生が聴くモノといえばアイドル歌手の流行歌と相場は決まっており、
それ以外といえばたまに出てくるお笑いコミックソングや、いいとこのボンボンなんかは
『バイオリン習ってるんだよ』といいつつクラシックなんか好きなんて言い放ったりして。
私と言えばどこをどう間違ったのか、泉谷しげるなぎら健一等のゲバゲバフォークなんか
聴いて、意味もわからず『いいなぁ』と思っていたのでした。

そこへ、ある日突然舞い降りた一本のカセットテープ。
そう、それはあの伝説の『スイッチト・オン・バッハ』だったのです。
今となってはゲイであることをカミングアウトして性転換手術後、AI○S?でお亡くなりになってしまったことで有名?な、
ウォルター・カルロスさんでございます。(あれ?まだ死んでない?(笑))
まるでスパイの秘密通信セットみたいな機械(ムーグって名前のシンセサイザー)を背後に据えた
バッハ(本人の物まねかどうかは不明)のジャケットは、小学生のオツムにビビビっときちゃったみたいで、
連日連夜モノラルのカセットテレコで聴きまくりでした。

その後、こんなのにもビビビっときちゃったりして、なんだか変な小学校生活を満喫していたのですが、
またある日私の目の前に1本のカセットテープが舞い降りました。
  (って、このころは基本的にカセットテープだったんですよ。レコードもありましたけど。
   話は横道にそれますが、私がはじめてかったレコードはこれです(笑))
そう、それは御大、冨田勲大先生の『宇宙幻想』だったのです。
それからはサルの様にトミタサウンドをおっかけまくり、バイト(小学生からバイトしてたのだ)で貯めた小遣いは
冨田のLPを買うことにつぎ込んでおりました。この辺ですでに脳味噌は電子音に侵されはじめていたのです。

  テクノ症候群(あるいは電子音依存症)  

このころすでにはんだゴテ&回路設計の知恵が付いていた私は、10万円以上するシンセを買うほどの
勇気が無く、とりあえず手元に転がってるICなんかでドレミファの出る回路なんか作ってみたり、
回路のあちこちにボリュームやスイッチ付けて、シンセもどきなんか作ったりしてツマミぐりぐり欲を満たして
いたわけですが、そんなときに登場したのが後に私の音楽趣味を決定付けてしまった『YMO』だったのです。
それからはもう、YMOを筆頭に、当時『ニューウェイブ』というジャンルでくくられたテクノ系バンドを軒並み聴きまくり、
さらにはテクノの大御所『クラフト・ワーク』『DEVO』『ヴァンゲリス』『ジャン・ミッシェル・ジャール』
電子音楽、電子楽器漬けの毎日でした。そして中学2年のある日、セコセコバイトして貯めた小銭が中古のシンセを
買える程になりました。意を決して『キーボードマガジン』を買い、売ります買います欄を毎月目を皿のようにして探しました。
そしてついに手に入れたのです。念願の・・・・YAMAHA CS−30!(中古だけど)

メインマシン。

アナログモノフォニック(和音が引けない)シンセ全盛期において、2VCO・2VCF・2VCAの2系統は
音色に重厚さを増すのに非常に効果がありました。さらには驚異のアナログ8ステップシーケンサー搭載!
シーケンサーなんて高値の華で絶対に手に入れることは不可能を思っていたのに、8ステップとはいえシーケンス
ができるなんて夢のよう。そりゃもうピコピコしまくりでした。(んでも、実際あんま使いモノにはならんのね(^^;))

未だにちょこちょこ調子を見ながら電源を入れて30分暖めてから(アナログは暖めないと音程が狂うのです)
YMOのCDに合わせてチャカポコピコパコやっているというわけです。(成長及び進歩無し)


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