= 購入編 =


1991/4/15号 裏表紙にはPA-NEROが。 岐阜での仕事も佳境に入り、なんとなく収入もそこそこ安定してきた頃を見計らい、 いよいよ念願のマイ・ファーストカーを手に入れるときが来た。友人に頼んで速達で 送ってもらったCAR SENSORを速攻チェック。港北区役所そばに有った某いすゞディー ラ系中古車屋の広告の1台に目が止まった。元年式NERO hbl走行1.2万kmのマニュアル で149万。予算内で最高の車!次の日の早朝、手元のありったけの小銭をかき集め、 朝一番に新横浜に止まる新幹線に乗って横浜に向かった私を待っていたのは、この手 の話でお決まりの、『売約済み』の悲しい知らせ。
ちなみにこのとき店には偶然幻のBGMのMTなNEROもあったのだが、これも売約済み。フロントの人とPIAZZAについて熱く語ること1時間。 私の熱意が通じたのか、うるさいからとっとと追い返したかったのか、系列店に問い合わせること数分。 某千葉方面の有名いすゞディーラ系中古車屋から1台状態のいい車をまわせるけど?と言ってくれた。63年式NERO hbl走行3.5万kmのAT。 ウリは本皮内装。あちらの店では165万の値段だけど、こっちの言い値の予算、150万でイイという。 この時ただ単にPIAZZAが好きで欲しくてたまらなかった私は、『限定の本皮だよ』の一言にクラっときてしまったのだった。
これが私の購入した車。元なにわナンバー 当時はJR130よりもJR120、2灯よりも4灯、イルムよりロータス、と思っていた私の最後の一押しに『限定』と言う言葉は十分だった。 仕事の関係でそんなには上京することも出来ないし、今ほどPIAZZAと言う車が手のかかる車だとも知らなかった為、ここで決めなければ 等という妙な義務感と焦りに我が足りない脳ミソは冒されまくっていた。 とりあえず手付けを払い、後日ローンの契約を結ぶ為の書類を作成してもらい、仮払いの領収書を手に帰途に付いた私の足取りは いままでの人生で一番軽かったに違いない。試乗もせず、現物も見ずに決めたことなど頭の片隅にすら浮かんでこなかったのだ・・・

今読み返してみると、当時はまだまだよりどりみどり、買い手市場だったんだなぁ。
MTも結構あるし。値段はそれなりだけど。


BACK   Back to Index   NEXT