= 納車編 =


会社の労災のマイカーローンで借りれる限度額が150万、手元の小銭が30万。もろもろ込みで180万というソレまでの人生最大の買い物を 経験した私は、ローンが実行され店の指定の口座に現金が振り込まれる日がまちどうしくて仕方がなかった。店のサービスで、5ヶ月 残っていた車検を取り直し、ついでに3分まで無くなっていたRE71を無料で新品のタイヤに交換してくれるということで、仮契約から 納車まで約1ヶ月の間、ほとんど仕事が手に付かなかったと言っても過言ではない。事実そのころ仕事で作ったプログラムにはバグが多かったのだ。

そしていよいよ納車の日が来た。忘れもしない1991年4月12日。早朝風呂に入って身を清め、履き慣れた靴を履き、再び新幹線から横浜線経由、 東急東横線で大倉山駅に降り立った私は、菊名で降りた方がよかったなぁと道に迷いつつも綱島街道に出た。あとはゆっくりと一歩一歩 踏みしめるように、いや、自分をジらすようにゆっくりと店を目指して歩いていった。何度か通った店の、見慣れたビッグホーンの展示車両の 向こうに、綺麗に磨き上げられた1台の黒いPIAZZAが見えた。ぶっこわれそうな位の笑みを堪えつつ、店のドアを開け、いつものフロントの人に 挨拶をし、いましがた横をすれ違ってきた車に案内される。3本のキーを渡され、ルームミラーにかかっていた『売約済み』の札がはずされた。 そう、これが私のPIAZZAなのである。試乗もせずに、現物も見ずに決めた車なのである。頭のなかで冷静にチェックをせよと警鐘が鳴り響いて いるにも関わらず、顔はだらしなく弛緩し、心なしか手はふるえていた。一通り外観や内装の傷、エンジンルーム等を確認し、無料クレーム処理 の注文をいくつか書き記してから、いよいよハンドルを握るときが来た。数年前、東京モーターショウで乗って以来の運転席である。 記憶の中に残っていた感覚とちょっと違った感じの低く狭いフロントウインドウからの景色は、弛緩した顔の筋肉をさらに緩ませたはずである。

運転席のサイドサポートの皮が少しすり剥けていた。ポップアップはすでに少し緩かった。右のパワーウインドウがギィィと鳴いた。 でもそのときはどうでもよかった。軽く会釈をしてから、左ウインカーを出すために板状のウインカーレバーを儀式的にカチっと入れて、 まだ少し寒いけど日の当たるところは暖かかった春の綱島街道に、アクセルを軽く踏みながら、私とPIAZZAの人生が始まったのであった。 そのまま環状2号を走り国道16号沿いのGSでガソリンを満タンにし、保土ヶ谷バイパスを抜け、東名高速に入って岐阜まで一気に走った。 一度もSAやPAには止まらなかった。走るのが楽しかった。
をいをいクレーム修理はどーするんだよ・・・

ちなみに店が新品に交換してくれたタイヤは、オカモト理研ゴムの怪しいスポーツタイプのタイヤであった。
当時はOKマークが付いて無いことを確認してホッとしたものだ。


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