= オーバーホール記録 = |
最近どうも疲れやすい。動悸、息切れ、目眩なんかがよく起きる。ちょっと無理すると、ストンと止まっちゃったり。 いやなに、人間じゃなくて車の方が。(人間の方もかなりくたびれた)冬場、ちゃんと暖気してから走り出し、ちょっと狭い道でエイヤァとステアを切ると、 アレ?っと言う感じでエンジンが止まる。交差点で信号待ちしていたり、どこかで人を待っていたりして停車しているときも、 200〜300回転程、アイドリングの回転が下がるような息継ぎをする。それがどうも夏場にも出始めた。 横浜○営業所で見てもらって『アイドリングの回転あげておきましたから様子見て下さい。』って、アイドリングが1000回転でいいわけないじゃないの。 どーも燃費も悪くなった気がする。街乗りで6km/l? 前はどんなに悪くても7kmは行ったぞ。 『インマニ清掃しました、今度はどうですか?』 どうですかって、どうもこうも、症状は変わってないよ。乗っていいから確かめてから納車してよ。 購入時3.5万キロ、メータで9.5万、途中メータが止まってる間に6千は走ったからなんだかんだで10万キロを超えているのですね。 それなりに荒い乗り方はしちゃったしなぁ。エンジンオイル減りやすかったのに気が付かなくてかなりへらしちゃったり。 夏はお決まりの水温上昇。オーバーヒートすれすれでヒーター入れて路肩に停まることも何度もあった。 やっぱこれは、いわゆるひとつのオーバーホールですか。昭和の最後に作られた車を平成10年を待たずしてやっちゃうことになるとは思いませんでした。 まぁ、前のオーナーの乗り方も判らないし自分の無茶もあったから、ここはひとつ今後のためにもやっときましょう、と決意。
件の港北のレストア工場に持ち込み、車を見ながら社長といろいろ相談が始まった。そして、予算と期間の都合で作業方針は下記の通りに決定。
・ピストン、バルブを交換する一般的なオーバーホール。
・その他エンジン本体は、中開けてから決定。
・ATは専門業者に出してオーバーホール。(なので25万から割り引きできず)
・少々大きめなロールを少し押さえられるようなショックを探す。
・イーグルマフラー装着(持ち込んだ)
って、ここまで書いたら相談した割には大した内容じゃない。そう、実はここからが『いろいろ相談』の部分なのだ。 『25万あったらマニュアルのミッション載せられるのにねぇ。長く乗るならその方がいいでしょ。』と、聞く耳を疑うような発言が社長の口をついて出た。
私 :『最近流行のセフィーロだかローレルにR32のミッション載せるみたいには簡単に行かないでしょう?』どうって聞かれても、そんな清水の舞台から飛び降りるような、いや、社長自らイバラの道をスキップして歩くような事にしちゃっていいんですかねぇ。 とりあえず最大限の配慮だけしなくてはと思い、『日産やトヨタの車と違って部品事情も悪いだろうし解体車の絶対数も少ないから無理はしないで下さいね』 とだけ言い残して、あとは社長に任せてみることにした。いやぁ、なんと冒険好きな人なんだろう、つぅか、ホントに任せて大丈夫か?(笑)
社長:『いやぁ、車体の種類が1種類しかないんならそんなに難しくないんじゃないかな。』
私 :『でもミッションだけなんて手に入らないだろうし、新品買ったら25万じゃ納まらないでしょう?』
社長:『解体屋に声掛けて探してもらうよ。』
私 :『補器類やコンピュータはどうなんでしょう?』
社長:『補器なんてどうにでもなるでしょ。コンピュータは同じじゃないのかな?まぁ、聞いてみるよ』
私 :『う〜ん、本当ならマニュアルが好きだし・・・でも・・・う〜ん・・・』
社長:『それじゃこうしよう。部品関係が揃いそうだったら載せ換える、揃わなければATのオーバーホール。期限は1ヶ月。どう?』
それからはとりあえず車をあずけて、全体の調子を見るところから始まった。 社長が数日に渡り通勤の足代わりや高速を走ってみて全体の問題点と足周りの対策を洗い出してくれた。 ロータスの味付けを殺さずにフロントのノーズダイブとリア側のオーバーなロールを押さえたいという私の希望は、 やはりチョイスできるショックの少なさと対となって変えるべきスプリングが無いことでほとんど厳しかった。 とりあえず固いショックを入れてみようということで、フロントはイーグルで売っていたkoniのショックを入れてみることにした。 リアは解体屋で手に入れたGABの8段調整を投入。少し全長が長いのとブッシュの組み合わせの関係で、ほんの少し車高が上がってしまった。ちと情けない。 その後、MTミッションの部品を探しつつ先行してエンジンを降ろし、オーバーホールが始まった。 エンジンが降りた段階で、ステアリングギアBOXからのオイル漏れを発見し、ついでだからということでASSY交換することにした。(+8万) エンジンマウントも交換したかったので、部品注文したところ在庫無しで入庫不明と言われてしまった。ギリギリまで待ってみよう。 エンジンを降ろしてから分解するところまで、つきっきりで見学&撮影しまくった。 うむ、これはバンダイの模型を作るときの参考にしよう。自作4ZC1には必須資料だ!
ヘッドを外し、オイルパンを開け、クランク&ピストンを抜く頃には日が暮れ始めていた。 10万キロを走行した割にはそんなにはひどくないよ、との社長のコメントとは裏腹に、 めちゃめちゃ汚いヘッド内部とバルブとピストンを見て、こんなになってたんだ、こんな状態なのに無理させていたんだと、心が痛んだ。 『長いことご苦労さんだったねぇ・・・』等と感慨深く感謝の念を持ちつつ、バルブとピストンは洗浄して記念にもらって帰った。 バラバラになってそこらに散乱する補器類やTURBOの文字の付いたECGI等を見て、 映画Back to The FutuerVのバラバラに壊れたデロリアンを思い出した。 その日はそれで、ウマの上に載せられてタイヤとエンジンとミッションを外された我がPIAZZAに 『元通り元気にしてやっからゆっくり休めよ』と心の中で声を掛けて、原付に乗って家に帰ったのだった。
社長から電話が入った。どうやらマニュアルミッションの部品探しが難航しているらしい。
社長:『ミッションだけってのは出てきたんだけど、何にも付いてないんだってさぁ。数年前なら有ったけどみんな捨てちゃったんだって。』
私 :『す、捨てた! なんともったいない。で、どうします?』
社長:『ミッションは2万でいいってさ。 補器類を部品で取ると高く付くだろうしなぁ、なかなか無いもんだねえ』
私 :『やっぱりなかなか無いでしょう?ミッションだけ手に入ってもしょうがないから、それはあきらめましょう』
社長:『そうだねぇ、そうしよう。また探して置くから。 あ、ヘッドとブロックが仕上がってきたよ。ピストンも来たから見においで。』
私 :『ど、ど、ど、土曜日まで作業進めないで下さいね!見に行きますから!』
ああ週末が楽しみになったなぁと、独りほくそ笑んでいる私を、周囲の車好きな同僚が『新しい車買ったら〜?』とからかった。 ある人は『何?また壊れたの?』とか、『修理?今度はいくらかかるの? えっ!?60万!?(苦笑)』とかいろいろである。 いいのだ。おらぁタバコは吸うけど酒は(あまり)飲まないし、着る物もあんまり金掛けないし、 『車をぽいぽい愛着もなく買い換えるよりはいいっしょ〜(苦笑)』等と弱々しく抵抗してみたりしていた。
人生とは何が起きるか判らない(おおげさ)。捨てる神あれば拾う神アリ。その翌日、社長が得意満々で電話をしてきた。
社長:『あのねぇ、丁度いい解体車が入ったのよ。年式一緒で同じNEROのマニュアル車!また仕事が手に付かなくなった。たまたまその週は仕事が忙しく休んでいける程ではなかったため、わざわざ作業止めてもらっちゃったのだ。 この時はプログラム作成の仕事ではなかったので、幸いにしてバグを増やすことは無かったのが救いである。
自走はできるけどダメだね。BBSはダメだけど、車体10万、部品なら4万でいいってさ。』
私 :『ええ!?本当ですか!? いや〜、ラッキーですね〜!(事故って手放した人、ごめんなさい)』
社長:『で、もう頼んじゃったけどいいよね? ってうか、もう来てるんだけど。』
私 :『はいはいそりゃもう!部品4万って、他に何取ってもいいんですか?』
社長:『車体丸ごと買わないんだから、目立たなきゃいいんじゃないの?』
私 :『わかりました! よろしくお願いします!!』
週末、パタパタと原付で見に行くと、そこには右リアがグシャっとつぶれたNERO hblが停まっていた。 いくら他人の、それも解体車だと判っていても、PIAZZAの潰れた姿を見るのは心が痛い。ましてや車体で買わなかった為、この後はつぶされる運命に。 住宅事情や駐車場事情からどうにもこうにも車一台を置いておけるスペースは無かったのだ。今考えればもったいないことこの上ない。 エンジンもそこそこ大丈夫だったようで、本当に自走可能だったが、サイドシルにまでシワが寄るほどのダメージがあったので車体としては終わっていたと思う。 リアハッチは手ではもう開かなかったし、ラッゲジも内装がかなりゆがんでいる。 一通り車をみて回っていると社長が声を掛けてきた。 『ブロックは何色に塗る〜〜? グリーン?ブルー?オレンジ〜?わははは(笑)』さすがレストア屋さんだなと痛感。 そっちの方へ向かうと。ガムテープで目張りしたヘッドとエンジンハンガーに乗ったブロックがあった。 とりあえず無難なところで黒でお願いする。サビでばばっちかったブロックが綺麗なツヤのある黒に塗られていく。 『4ZC1』といすゞのマークも綺麗に浮かび上がっている。嗚呼、新品の様だなぁ〜(見たこと無いけど) 事務所に行くと、段ボール箱いっぱいに部品が有った。ガスケット類やピストンリング等のオーバーホールキット?の様なモノ。 小さめの紅白のいすゞの箱が8つと中位の箱が1つ。中を開けるとバルブとピストンだった。わーい、新品のピストンだ〜〜!(子供状態) 興味津々でしゃがみ込んで部品をひっくり返していると社長がタバコに火を付けながら話をはじめた。 どうやら当初の(社長の)目論見と大分見当が違ったらしい。要約するとこうだ。
・フロアパネルが違う。そのままではミッションが乗らない。チェンジレバー開口部の形が違う。
・ミッションマウントが違う。
・コンピュータも違う。
・インパネ(サテライトスイッチね)も違うかも知れない。
・クラッチペダルなんかは割と簡単に付きそう。
・ラジエターも違うっぽい。でもATので行けそう。
・他にも有ったけど、いっぱいあって忘れた。
ということで問題山積みだそうな。社長としても自分の言い出したこと故(というかおもしろ半分)、2台並べてがんばってやってみるよとのこと。 その分余計に発生する工賃はイラナイとまで言ってくれた。思わず心の中でうれし涙。ともかく2台並べて右から左へと移植作業を行うことに決まった。 事前に渡して置いたエンジン修理書とシャーシ修理書を頼りに、どんどん作業が進むことになった。 今日は改めてウマに乗ったPIAZZAのドアを開け、ATセレクターのノブを見た。いよいよATともお別れである。 記念にATの付いた運転席を写真に撮ろうと身を乗り出したときに、何かが足につっかかった。 足元を見ると、それは特大湯たんぽみたいなトルコンだった。思わず『嗚呼、コレも記念に持って帰りたい・・・』と思いつつも心の中で 『長いことご苦労だったねぇ。いや、ほんと苦労掛けたなぁ・・・』と、またしても感涙にむせぶのであった。(心の中でね)
それから帰りの道すがら、頭の中である考えがぐるぐる回っていた。解体車の内装が思いの外綺麗だったのである。 思い起こすこと数年前、『限定だよ』の一言で購入を決めた我が『本皮内装』。手入れも結構大変だし、その割にはかなりくたびれて、運転席の サイドサポートからは中のウレタンが少し顔を除かせていた。車体のきしみにあわせて、皮が擦れる音がキュコキュコうるさかったし、夏は死ぬほど 熱く、冬はいつまでたっても寒かった。ううううむ、どうせ潰されちゃうんだし・・・でもやっぱ貴重な皮内装だし・・ ここは一つ、イーグル辺りで引き取ってくれないか聞いてみよう。と電話をしたところも『数セットあるのでいりません』だと。 今でこそMLやらWebやらで『安価にてお譲りします!』とか『この際だから差し上げます!』とか言えばもらい手も付いたのでしょうが、 部屋にもおいて置くわけにも行かず交換したら後は処分するのみ。この際涙を呑んで皮の内装一式とお別れすることにしました。
さて、この際自分で出来ることはやってみようと思い立ち、この内装の交換はすべて自分でやってみることにした。 まずドナー車のリアハッチをこじ開けるところからはじめたのだが、これがかなりのダメージのせいかなかなか開かない。 車内から内装を剥がし、バールでこじること20分、バッキリと嫌な音を立ててハッチは開いた。 ラッゲジ内部のプラスティック類の内装はおおかた割れてしまって使いモノにならない。左側の無傷なテールランプ等を外して頂くことにする。 使えそうな内外装の小物を頂きつつも、内装外しの準備をはじめる。まず、前席を外す。簡単なドア内装も外す。 ドア内装はそのまま自分の車に持っていき、即交換。ついでだからスイッチパネルや灰皿等も頂いておく。 次に後席のシートバックと座面を外す。シートバックは両サイド4本のボルトを外すだけ。座面はスナップで留まってるだけなので、引っこ抜けば終わり。 後席内装が一番やっかいだった。シートベルトが通ってるので、ドア側のシートベルトのアンカーボルトを外さないとダメなのだ。 後はスピーカやらラッゲジ内装とのつなぎ目やらを外せばぽんぽんと外すことが出来た。しかし、付けるときもまたアンカー外すのか・・・
今度は同様の手順で自分の車からシートやら後席内装やらをひっぺがす。どんがらになった自分の車のフロアーカーペットを見て、 ついでにクリーニングもしたいなぁなんて考えたが、もう内装のばらし方は判ったので、今度暇なときにやってみようと思い、早速ドナー車からの 内装の取り付けにかかった。(しかし、シートやらなにやらをとっぱらった車ってのは案外広いものですなぁ) さて、このときやってしまったのだ。自車のシートベルトアンカーボルトを外したまではよかったが、これを再び止めるときに少しネジ穴をなめてしまった。 手持ちの車載工具とモンキーレンチと安物のボックスレンチでのみ作業していたのだが、どうもこれがいけなかったのか先を急いだのが悪かったのか。 すぐさま工場の社長がどこぞのちゃんとしたボックスレンチで慎重にやってみるもうまく入らない。手前の方がなめきってしまっていて、入っていかないのだ。 しょうがないので手前だけネジ山を切り直して再度慎重に挑戦。無事止めることが出来た。この時ばかりはちゃんとした工具と作業の慎重さの必要性を痛感。 なんだかんだでドナー車からすべての内装をひっぺがし、自分の車の前席シートを除いた全部を交換するのにまる1日かかってしまった。 交換し終わった車内の後席にこしかけて、缶コーヒー飲みながら一服しつつ車内を見渡してみる。今までと違ったロータス標準のファブリック内装もなかなか いいなぁ。これで夏のウラモモ灼熱地獄からも、冬の冷凍地獄からもおさらばだ〜。
それからしばらく仕事が忙しく様子を見に行くことが出来なかったのだが、電話で状況を確認してみるとかなり着々と作業は進んでいるらしい。 社長は電話の向こうでは『順調順調!』と言ってはいるものの、いろいろ話を聞くうちにかなり面倒な作業もあったようだ。 フロアーパネル(センタートンネル)のチェンジレバー開口部の形状が異なる件は、MT車からトンネル上部のパネルを切り出し、自車に移植。 リベット+スポット溶接でくっつけたらしい。トンネル自体も若干叩いたとか。ミッションマウントはMT車のそれを見習ってこれまた溶接で自作したらしい。 念のため、メータ&サテライトスイッチもまるまる移植。インパネの取り外しは『あんまりやりたくないな〜(笑)』と言っていた。よほど面倒だったらしい。 ということで、すでにエンジン自体はミッションと接続され車体に納まってとのこと。美味しいところ見逃した〜などと思いつつ、週末に見に行ってみる。 工場を訪れてみると、ミッションの後端部(名前わかりません)の、プロペラシャフトとのジョイント部分がうまくいかなかったらしい。なんかコンコンと プラスチックハンマーで叩いたり何かの部品を交換してうまくいったとこのと。(聞いたけど忘れた)エンジン自体もエンジンルームに収まり、後は配管の類や 補器類の接続を待っている状態だった。実はあと1週間以内に車検を通さないと切れてしまうというせっぱ詰まった状態だったので、後回しにできる作業 (マフラー交換や小間物の交換)は後回しになっていた。車体をぐるりと一回りしてみると、研磨に出していたブレーキロータも付いていたし、ショックも付いていた。 『明後日には車検通すから』と言われ、2日後には走れるようになっているのかと思うとわくわくした。
3日後、社長から電話がかかってきた。『車検通ったよ。あとはマフラーだけ。今度の週末にでも取りにおいで。』 後半過密スケジュールの中、よくぞ無事に間に合った!また仕事が手に付かなくなったがもうバグは出なかった。(プログラム作成の仕事では無くなっていた為) その週末、数年前の納車の日と同じ様に、自分を焦らすような感じで電車を乗り継ぎ工場に向かった。なんとなくはやる気持ちを抑えつつゆっくりと歩き、 通りから奥まったところにある工場に向かう道に入ったところで、ヤツは待っていた。綺麗に洗車されて、外から見る限りはいままでと何も変わらないたたずまい。 強いて言えば、少しだけフロントがさがっているのはkoniのショックのせいだろうか。いや、リアが少し上がっているからかもしれない(^^;) 少しだけ立ち止まって見ていると、社長が笑いながらやってきた。『すごく調子いいよ。』お世辞3割、自己過大評価3割としても、そういわれると非常に嬉しい。
さっそくドアを開けてエンジンをかけてみることにする。と、室内をのぞき込んでみるとそこには見慣れない棒が・・・。うっ、マニュアルのチェンジレバーがっ! 付いてるよぉ〜。前後だけじゃなくて左右にも動く棒が付いてるよ〜〜(泣)とりあえずシートに腰掛けると、今度は左の足元が狭い。いつものフットレストの 足が乗らない!うぉ〜、クラッチペダルが生えてる〜〜!(うるさい)と、お約束のボケをかましつつも、2クリックほどキーを回して、ポンプの音を確認し、 おもむろにキーをひねってスタートさせてみる。2ヶ月ぶりの(私による)エンジンスタートだ。工場入り前に比べて幾分軽く、あっさりとエンジンは動き出した。 軽くアクセルを煽ってみると、それはそれは工場入り前とは比べ物にならないくらいな重低音がした。イーグルのマフラーに交換されているのを今思い出した。 『結構うるさいですね』という私に、『そう?それほどでもないんじゃないの?』と社長が言う。さすが、普段イロイロな車をいじってるだけのことはある。 とりあえず1000kmまでは2000rpm以下で、次の1000kmまで2500rpm。500km毎で1500kmまでエンジンオイル交換と指示をされた。暖気をかねて暫くエンジンを回しながらの談笑の後、 かなりなやっかいをかけてしまった社長に丁重にお礼を言い、工場を後にする。ちょっと皮がほつれてしまったシフトノブに手をかけ、久しぶりのマニュアル車に 若干緊張しながら、左足をゆっくりと、ミートポイントを探すように(実際は結構サクっと)クラッチをつなぎ、自宅に向かって走り出したのであった。
しばらくマニュアル車に乗っていなかった割には、エンストする事もなく、むしろ太いトルクと油圧式の割には分かり易いクラッチのおかげで、教習所の車の様に すいすいと走ることが出来た。PIAZZAでのシフトアップ、PIAZZAでのシフトダウン。エンジンブレーキが心地よい。 このままどこかへ走りに行きたい気持ちを抑えて、少し渋滞の始まった中原街道をボロボロ(イーグルマフラーの音)と走っていくのであった。
・・・しかーーーし!なんだ〜〜?4速から3速、3速から2速にシフトダウンするときに、たまにエンジンチェックのランプが一瞬点くぞ〜〜!? いや、いつも点く訳じゃない、点く時がある程度だが。携帯電話で状況を連絡し、念のため一度工場に戻ることにする。戻ってから、CPのダイアグノーシス等を チェックするも特に異常なし。仕方がないので暫く様子見でそのまま乗っておくことにした。 しかししかし、無謀というか慣らしには好都合というか、その翌週の週末には三重県まで走っていくのだ。片道540km、往復で1000kmオーバー。途中止まったんじゃ シャレにならんなぁと思いつつも、社長の『だいじょぶだいじょぶ。』の言葉を信用し、大手術後にいきなり遠乗りに出かける私であった。
翌週の土曜日、東名高速は快晴でドライブ日和だった。念のため(というか、1回目のオイル交換の為)、三重の友人の懇意にしているショップに連絡をしておき、 何かあったら見てもらうこととオイル交換してもらうことを頼んで置いた。とりあえず暫くは90〜100km/h、2000rpmを遵守しつつ東名高速−東名阪道−伊勢道と 乗り継いで三重に向かう。これがまた、自己最高記録の燃費、14km/Lを記録。途中同乗者連中にうるさいだの乗り心地が固くなってケツが痛いだの遅くてたまらん だの罵詈雑言をあびせられつつも、無事現地到着。いやぁ、法定速度っていいもんですな(笑) さて、翌日ショップに持ち込み簡単な点検とエンジンオイル交換をお願いする。ところが道中少しだけオイルの焼けるような臭いがしていた。マフラー付近から臭い がしていたので、マフラーが焼ける臭いかなと思っていたのだが・・・・実は、ミッションオイルがミッション後端部から少しだけ漏れていた。漏れたオイルが 高速走行中の風に飛ばされてマフラーにかかり、熱で焼けるような臭いを出していたのだ。オイル漏れはそれほどひどくなく、無理しなければ横浜まで大丈夫だろう というショップの人の言葉を信用し、帰り道も2000rpm以下遵守で帰った。
帰り道、音羽蒲郡のバリヤーを通過するときに、アクセルを抜いて減速しようとしているとふとおかしな点に気が付く。減速しないのだ。タコメータを見ると、 アクセルから足を離しているにも関わらず1500rpmも振っている。軽く空ぶかしを2回ほどするとアイドリング時の回転数に戻った。その後横浜に帰り着くまでに PA立ち寄り時の減速等、数回同じ現象が起こったのだった。ううむ・・・何かの悪い兆しでなければいいのだが・・・。 横浜に戻り、翌日すぐに2回目のオイル交換とミッションオイル漏れ、その他気が付いたことを数点連絡して車をあずけた。例のチェックランプの件も。 翌日の午後に電話があり、もう作業は終わったという(たまたま暇だったらしい)。オイル漏れはミッション後端のシールが劣化していたらしい。シールを交換して終了。 回転が下がらない件は、幾分スロットルを調整して様子見。エンジンチェックのランプについては特に不調なところもないので、散々悩んだあげく、とんでもない処置を してくれたのだ。何をしたかはヒミツ(笑)。その後も回転数が落ちない件は度々発生し、当時入ったばかりのPIAZZA-MLにて川端さんのご指示のもと、スロットルの プライマリ/セカンダリの清掃&調整で無事回復。さらにはスロットルボディーを清掃し、さらに噴け上がりが向上。ちょっと荒くクラッチをつなぐとホイールスピン するかと思わせるような加速感を感じれる様になった。一ヶ月の間に2回の三重往復をこなし、あっというまに慣らし終了、その間大きなトラブルもなく、某高速道路 にて全開試験(^^;)も行い、2000ccTURBOのマニュアル車の底力を思い知る(笑)。ファブリックの内装のおかげで皮内装時代のきしみ音も消え、やや固くなった サスからのゴツゴツした感じの音が気になる以外は、非常に快適に運転が楽しめるようになったのだった。
そして、しばらくのトラブルに備えて、工場の片隅に保管してあったドナー車の解体場送りの日が来た。持ち帰れるだけの部品を外し(当初、ミッションと内装だけ という約束だったのに、ライト類、エンブレム、グリル等までかっぱぎ)無造作に放り込まれた先日まで長いつきあいだった本皮内装に心の中でそっと手を合わせ、 ラッゲジに放り込まれているATミッションにも(もしかしたら解体屋が部品として保持するかもしれないことを祈りつつ)心の中でお別れを告げた。 さらには今回の為に、事故車とはいえありがたいマニュアルミッションや各部品を提供してくれたドナー車にも心の中でひときわ丁重に礼を言った。 実際に送り出すところは平日な為見送ることは出来なかったが、解体される事が判っているPIAZZAを見るのは忍びなかった。どうせならドアもバンパーも ボンネットも窓ガラスも・・・車体丸ごと手元に置いておきたかったのだが、それはかなわぬことだった。サヨナラ、アリガトウ。
それからというもの、ちょこちょことしたマイナートラブルはあるものの、エンジン&ミッションに関しては何もトラブルが無く今日に至っています。 1999年8月の段階で、すでに3万キロ走行していますが、動力系はノントラブルです。あらためてやっかいなことを面白がってやってくれた工場の社長には足を向けて寝れません。 また今回の大手術では、もともと機械好きだった私が『命あずけるものだし』と敬遠していた車イジリの楽しさに火を付けたのは言うまでもありません。 知識も道具もプアな私も、少しずつ出来ることからいろいろやってみようと思ったきっかけになったのでした。
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